立会いで金額を取り返そうとしても、上限は決まっている
退去立会いというと、「どこまで入居者に請求するかを決める場」という印象があります。傷を探し、写真を撮り、負担割合を詰める。
ただ、ここに力を入れても得られるものには上限があります。
2020年施行の改正民法621条により、賃借人の原状回復義務からは通常の使用による損耗と経年変化が除外されました。 国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」も同じ立場です。日焼けによる色あせ、家具のへこみ、画鋲の穴、歩行による床の摩耗——これらは貸主(大家)の負担になります。
さらにクロスやクッションフロアには耐用年数6年の減価償却が適用され、入居が長いほど残存価値は下がります。つまり、立会いを長く詰めても、取れる金額の天井は法令とガイドラインが決めています。
では立会いに価値がないのかというと、逆です。価値のある場所が違うだけです。
立会いの本当の価値は、工期と仕様を先に決められること
退去立会いは、大家(または管理会社)が空室になった部屋を最初に見る瞬間です。この時点で次の3つが決まれば、原状回復は一気に速く進みます。
- 何を直すか(クロスは全面か部分か、床は張替えか補修か)
- どのグレードで直すか(量産品か、機能性クロスか)
- いつ着工できるか(職人の日程を押さえられるか)
これが立会いの場で決まらないと、後日あらためて業者に現地を見てもらう工程が発生し、そこで数日空きます。 空室1日あたりの損失は家賃7万円なら約2,300円。3日空けば約7,000円です。
立会いは「過去の精算」ではなく「次の工事のキックオフ」として使うほうが、手残りは大きくなります。 工程全体の縮め方は原状回復の工期を1週間縮める段取りにまとめています。
立会いで見る場所と、見る順番
部屋を漫然と眺めても抜けが出ます。順番を固定してください。 玄関から入って時計回り、最後に水回り、というように毎回同じ順で回ると、抜けが減り、部屋ごとの比較もできるようになります。
| 箇所 | 見るもの | 次の工事への影響 |
|---|---|---|
| 玄関・下足入れ | 臭い、たたきの汚れ、扉の建て付け | 内見の第一印象を決める。優先度は高い |
| 居室のクロス | 継ぎ目の開き、日焼けの差、電気ヤケ、ヤニ | 全面か部分かの判断。塗り替えで足りるか |
| 床 | 材種、へこみ、擦り傷、めくれ、きしみ | 材種で負担の考え方が変わる |
| 建具 | 開閉、戸当たり、レール、網戸の破れ | 単価は小さいが、放置すると内見で目につく |
| 水回り | 水垢、カビ、パッキン、排水の臭い | クリーニングの範囲と追加費用に直結 |
| 設備 | エアコンの年式・動作、給湯器の年式 | 入居後の故障対応を先送りしないため |
| ベランダ・共用部 | 排水口の詰まり、残置物、外からの見え方 | 内見の導線。見落とされやすい |
床の材種の確認は特に重要です。クッションフロアとフローリングでは費用負担の考え方が違うため、「床」とだけメモすると後で判断できません。 詳しくは原状回復と床材|クッションフロアとフローリングで、負担の考え方がまったく違うをご覧ください。
写真の残し方には型がある
立会いで撮った写真は、そのまま業者への見積もり依頼の材料になります。 ここが雑だと、業者は現地を見に行かざるを得ず、工程が1つ増えます。
逆に言えば、写真が揃っていれば現地確認を省ける可能性があります。
1か所につき3枚が基本
| 種類 | 撮り方 | 何のためか |
|---|---|---|
| ①引き | 部屋の隅から全体が入るように | 数量(面積)の把握。見積もりの土台になる |
| ②中景 | その壁・床の一面が入るように | 傷が部屋のどこにあるかが分かる |
| ③寄り | 傷にメジャーや硬貨を添えて | 大きさが伝わる。補修か張替えかの判断材料 |
寄りだけを大量に撮るのが、いちばんよくある失敗です。 傷の写真が30枚あっても、部屋の全体像がなければ数量が出ません。見積もりは面積と数量で決まるので、引きの写真がないと業者は概算しか出せません。
撮っておくと後で効くもの
- 分電盤・給湯器・エアコンの銘板(型番と製造年が分かる)
- 間取りが分かる引きの写真(各部屋1枚ずつ)
- 鍵の本数と種類
- 残置物(処分費が別途かかるため)
撮影日時が記録に残るよう、加工せずに保存してください。入居時の写真と並べられれば、通常損耗との区別もつけやすくなります。
よくある誤解
「立会いでその場で金額を確定させないと揉める」
確定できるのは「事実」であって「金額」ではありません。 どこにどんな損耗があるかを双方で確認し、記録に残すことが立会いの役割です。金額は見積もりを取ってからでないと出ません。
その場で概算を口にすると、後で正式な見積もりと食い違ったときにかえって面倒になります。 「確認した内容はこれです。金額は見積もりが出てからご連絡します」で足ります。
「経過年数を超えていれば、何をされても請求できない」
材料の残存価値がごくわずかになっても、借主が故意・過失で設備を破損し使用できなくした場合には、修繕工事に伴う費用の負担を求められることがあります(ガイドラインの考え方)。材料代がゼロでも、工事そのものは発生するためです。
ただしこれは例外的な扱いです。通常の生活の範囲であれば、貸主負担が原則という前提は変わりません。
「管理会社に任せているから立会いには行かなくていい」
管理を委託していれば、立会いを代行してもらえます。遠方の物件や戸数が多い場合、これは合理的な選択です。 どれが正解ということはありません。
ただし、立会いの報告に「引きの写真」と「床の材種」が入っているかは確認しておくと、そのあとの判断が速くなります。 報告のフォーマットを一度すり合わせておけば、毎回の手間は増えません。管理会社との付き合い方は不動産投資家が管理会社を選ぶときの基準で整理しています。
まとめ
- 通常損耗・経年変化は貸主負担(民法621条)。立会いで取り返せる金額には上限がある
- 立会いの価値は次の工事の仕様と工期をその場で決められること
- 見る順番を固定する。床は必ず材種まで確認する
- 写真は1か所につき引き・中景・寄りの3枚。引きがないと数量が出ない
- その場で金額を言わない。確定させるのは事実であって金額ではない
立会いで撮った写真、そのまま診断できます
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出典
- 民法第621条(賃借人の原状回復義務)
- 国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」
- 国土交通省住宅局「『原状回復をめぐるトラブルとガイドライン』に関する参考資料」(令和5年3月)
※本記事は不動産投資家(大家)向けに、退去立会いの段取りを整理したものです。金額はいずれも仕組みを説明するための一般的な目安です。負担区分の最終的な判断は契約内容と個別の状況によります。特定の事業者を評価・批判するものではありません。